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リューダ祭という名前が付いているのだから、決まっていることがあるはずだ。そう考える人がいると思うが、その通りだ。
実はこの祭を企画するのに、参考にしたイベントが二つある。一つは脚折で4年に一回おこなわれる雨乞い行事。もう一つは、沖縄勝連町の小・中・高校生諸君が創り上げた組踊り・肝高の阿麻和利だ。
一方は地元の伝統行事、もう一方は小・中・高校生が主体のイベントである。 だがリューダ祭は、そのどちらにも似て、どちらにも似てない独自なものになるのだと思う。
なぜならそれは参考品であって、リューダ祭そのものじゃないからだ。
例えば、服を作るのに、洋服か、和服か。その素材は、綿か、絹か、それを選ぶのに、すでに出来ているものを参考にするのと同じことだ。
おそらく俺らが創ったものは、モデルから離れて自分たちの想いに添ったオリジナルなものになっていくだろう。
祭の大ワクはそのことを十分考え、鶴ヶ島でなければ、みんなでなければ出来ないことをやれるように、しかも普通じゃ出来ないことが用意されているはずだ。
今、「おれらのリューダ祭」で決まってる大ワクは、
1 祭の主役は子供たち(おおよそ10才〜18才)
2 自分たちのリューダを自分たちで創る
3 リューダと音楽にのり、踊り、町のメインストリートを練り歩こう。
4 運動公園に舞台をしつらえ自分のやりたいこと言いたいことをからだごとパフォーマンスして、みんなに観てもらおう。
5 自分の興味のある分野でスタッフとして参加してもらおう。
6 専門のスタッフを集め、協力してくれる大人の組織を創ろう。
このワクのなかで自分がピンときたことが、できる場所はないのか? このワクのなかで自分が充実して満足して楽しめること、自分自身を再発見する場所はないのか?
祭はなんでもありなんだ。なんでもありだから祭なんだ。
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